第一原理経路積分分子動力学計算による氷高圧相の弾性特性(2023.10.20)

水(H2O)の構造と物理化学的性質を決定することは、物理学、化学、惑星科学分野等多くの分野において重要です。H2Oの結晶多形はこれまで20種類が知られており、数多くの実験的・理論的研究が行われていますが、その物理的・化学的性質はまだ完全には解明されていません。氷の研究における本質的な課題は、水素が最も軽い原子であることです。そのため、水素は非常に移動しやすく、実験的に検出することが難しいことに加え、大きな量子効果を示すことが知られています。物質中の原子 (電子・原子核)の時間・空間的な振る舞いは量子力学に支配されており、水素を代表とする質量の小さな元素は原子核の量子力学的な性質を反映して、古典力学的には移動できない領域へと元素が拡散することが可能になります (トンネル効果)。
高圧下において、氷Ⅶ相からX相に至る相転移は水素の静的無秩序状態から動的無秩序状態を経て対称水素結合状態へ至ると考えられており、多くの高圧実験・理論計算等により状態方程式や物性が調べられてきました。特にⅦ相の状態方程式に関しては約40-60 GPa付近において圧縮率の増加が報告されています。この原因は、水素の動的無秩序状態に起因する可能性が指摘されています。氷Ⅶ相の動的無秩序状態とは、酸素原子間に存在するエネルギー障壁を水素がホッピングして行き来するような状態です。この動的無秩序状態においては、上記のようなトンネル効果が重要な影響を与える可能性があります。
最近、私はこの氷Ⅶ相からX相に至る水素の状態変化を詳細に調べるために、原子核の量子効果も考慮した第一原理経路積分分子動力学計算(PIMD)を行いました(https://arxiv.org/abs/2307.14214)。通常の第一原理分子動力学計算(AIMD)は、高温高圧下の状態を調べる上で非常に有効な手段であるのですが、この手法では原子核は古典粒子として扱われています。一方、PIMDでは対象とする系と同じ統計的なふるまいをする多粒子からなる古典系を考え、その古典系の統計平均を第一原理分子動力学計算することにより量子系のふるまいを調べることができます。本研究では、AIMD、PIMDによる氷Ⅶ相の弾性定数と、ブリルアン散乱実験から得られた弾性定数を比較しました。AIMD、PIMD、実験値のいずれも、低圧力条件では静的0 Kにおける弾性定数とほぼ平行な変化を示し、これは温度条件の違いによって説明できると考えられます。しかし、加圧にともないPIMD、ブリルアン散乱、AIMDの結果は、それぞれ40、60、70 GPaで静的0 Kの値から逸脱し増加し始めます。これらの弾性定数の増加は、水素原子の動的挙動に起因すると考えられます。AIMDとPIMDの結果を比較すると、原子核の量子効果は動的無秩序相の弾性定数の増加に大きく寄与(300K・70GPa付近で約20%)していることが判明しました。原子核の量子効果が常温条件においても弾性というマクロな物性に大きな影響を与えていることは非常に興味深いと感じます。このようなPIMDシミュレーションに必要な計算リソースは大きなものになりますが、今後計算機の演算能力の向上とともにより複雑な鉱物に対しても適用可能になると考えています。(土屋 旬)

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